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子どもと読みたい和の絵本の世界

子供の頃に読んだ絵本の中で、 大変印象に残っている本が数冊あります。
当時の私の家には、海外の絵本はあまりなく、日本のものが多かったように思います。
その中でも、自分の子供にも読ませたい、と思った四冊を紹介します。

銀河鉄道の夜

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言わずと知れた宮沢賢治原作の名作。
今回は藤城清治の文、影絵のものを紹介します。
筆者が幼稚園の頃、この銀河鉄道の夜の影絵の上映会のようなものがありました。
その様子を今でもはっきり思い出すことが出来ます。

★あらすじ
年に一度の星祭。
主人公のジョバンニは、友達のカンパネルラに、川へ行こうと誘われます。
でも、病気のお母さんを抱え働いているジョバンニは、すぐには行くことが出来ず、仕事が終わってから行く、と約束をして、カンパネルラと別れます。
やがて、仕事を終えて町と反対側の丘へとやって来たジョバンニは、星の瞬く空を見上げました。
金剛石をひっくり返したような空。
不思議な声が聞こえます。「銀河ステーション……。銀河ステーション……」
気がつくと、ジョバンニは、カンパネルラと一緒に、夜の銀河鉄道に乗っているのです。
天の川の左の岸に沿ってずっと南の方へ続いている銀河鉄道。
白鳥座、アルビレオの観測所。
二人は進んでいきます。
途中で、何人もの奇妙な乗客に出会います。
サギを捕まえるひげを生やした男、外国で暮らしていたという女の子とその家庭教師の男。
その家庭教師の男は、船に乗って国に帰る途中、氷山にぶつかり、気が付いたら鉄道に乗っていた、と話します。
「救命ボートに乗らなかったの?」
というジョバンニの問いに、男は答えます。
「ボートの数が少なくて、私たちが乗れば誰かが助からない。そう思うと、乗ることが出来なかった」と。
さそり座を通り越し、やがて、ジョバンニとカンパネルラは二人っきりになります。
「本当の幸せってなんだろう」
ジョバンニがカンパネルラに問いかけます。
「僕まだ分からないよ」
カンパネルラが答えます。
やがて二人は綺麗な空の野原に着きます。
「奇麗だね、あれが本当の天上なんだ」とカンパネルラは言いますが、ジョバンニには何も見えません。
気が付くと、車内の座席にカンパネルラの姿はありませんでした。
……夢から覚めたジョバンニは、カンパネルラが友達を救うために川に落ち、亡くなったことを知ります。


見どころは、とにかくきれいな影絵がそのまま絵本になっていること。
それから、「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という賢治の思想あふれる澄み切った世界観です。

モチモチの木

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Eテレの絵本の読み聞かせのコーナーで、 紹介されていたこともあったのでご存知の方も多いのではないでしょうか。
かくいう筆者も、おぼろげな記憶ですが、当時教育テレビであった3チャンネルで見た覚えがあります。

★ あらすじ
豆太という臆病な男の子が、山奥の猟師小屋に、じさまと二人で住んでいます。
猟師小屋のそばには、モチモチの木という大きな木が1本立っています。
豆太はそれが怖くてたまりません。
ある晩、じさまが豆太に言います。
今夜はモチモチの木に火が灯る晩で、それはそれはきれいだと。死んだ豆太のおとぅも見たことがあるというのを聞いて、 豆太は是非自分も見たいと思いますが、 夜にモチモチの木を見上げるという怖さと、 勇気のある子供しか見れないと言うじさまの言葉に、自分にはとても無理だと諦めて眠ってしまいます。
真夜中のこと。
豆太は、腹痛を起こし呻くじさまの声で目を覚まします。
豆太は怖い気持ちを振り切って、麓の医者さまのところまで走ります。霜に足を切られながら、泣きながら子犬のように一目散に走って行きます。
ようやくたどりついた医者さまの家。事情を聴いた医者さまは、豆太をおぶうと、じさまの小屋へと向かいます。
雪の中、ようやくじさまの待つ小屋にたどり着いた豆太。
小屋に入るとき、雪の中を振り返り見ると、 なんとモチモチの木に、灯がともっています!
その後元気になったじさまが、 豆太は勇気のある子供だから、 モチモチの木に火が灯るところを見ることができた、と言い、お話は終わります。

なんといっても見所は、 豆太が勇気を出して医者さまを呼びに行くところ。 それからこれは筆者の主観ではありますが、このお話のいたるところに、優しい大人の目がかくれているというところです。
それがおそらく作者である斎藤隆介さんの目なのでしょうが、どのページをめくっても、豆太が優しく誰かに見守られている感じがしてなりません。

かさじぞう

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これは小学校の教科書にも載っていましたね。
筆者はこの渋い話がなぜか好きで、授業中に何度も読んでいた記憶があります。
私が好きだからなのか、なぜか長女もこの話が好きで、よく寝る前に読んであげていました。

★あらすじ
あるところに貧乏なおじいさんとおばあさんが住んでいました。
ある年の大晦日のこと。笠を五つこしらえたおじいさんは、町へそれを売りに出かけます。
しかし、大晦日の町では魚や米は売れても、おじいさんの笠は一つも売れません。
とうとう日が暮れ、あたりは吹雪。
帰り道を一人行くおじいさんは、六人のお地蔵様の前へと差し掛かります。
顔からつららを垂らしたお地蔵様を見て、「さぞさむかろう」と、おじいさんは順々に自分の売り物の笠をかぶせてやります。
ところが、一つ足りません。
おじいさんは自分のかぶっていたかさを脱いで、最後のお地蔵様にかぶせてあげるのでした。
うちに帰り、質素な夕食を済ませて床に入ったおじいさん。
そしてあけた正月の朝。
「よういさ、よういさ、よういさな」というそりひきの声で、おじいさんとおばあさんは目を覚まします。
不思議に思って雨戸をあけてみると、そこには去っていく六人のお地蔵様の姿と、数えきれないごちそうが。
それから二人は、幸せに暮らしました。

日本人の美意識が、強く描かれている作品だと思います。
だからこそ教科書にも載っているのでしょう。子供って、こういう「善」と言えるようなものがはっきり描かれている作品が好きですよね。


もずがなくとき

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これは、筆者が大人になってから好きになった作品。
なんといっても色遣いが綺麗。ちぎり絵の質感が、この作品の真に迫ったテーマにとても合っています。

★あらすじ
くさはらのもずは、小さな生き物たちを狩っては食べます。
もずが来るたびに、ちいさな生き物たちは体を固くして隠れます。
「もずがくるぞ、気をつけろ」
それを聞いたもずは、
「もう生き物は殺さないぞ」
そう誓うのですが、心の奥の何かが、それを許しません。
揺れ動く心の中、もずは狩りを続けます。
ある雪の日、とうとうもずは自分が狩られる側になる、という経験をします。
もずを狩ろうとしたのは、一匹のきつね。
「僕は僕が狩ったばったやこおろぎと一緒になってしまう!」
―――雪が止んで、辛くもきつねから逃れたもずは呟きます。
「ひどい目にあった……。でも僕はどんなことがあっても一生もずなんだ……」
もずはその後何日もじっとしていますが、ある朝「……また、来る」と言って草原を飛び立っていきます。

この「生きるために狩る、でもそこに葛藤がある」という難しいテーマをいいなと思えたのは、大人になったからかもしれません。おそらく、数ある絵本の中で、一番好きな作品かも。
でも、かさじぞうのような善がはっきりと書かれている作品と違い、自分で考えなければならない、というのもまた、子供にとってはいいのかもしれません。

絵本の世界も様々で、その時代に合ったモラルや考え方が語られ、とても深いですね。
和の絵本の世界は、日本人の高い美意識を強く映していると思います。
いいものはどんどん読み継がれ、新しい素敵なもの、考え方がどんどん描かれていくといいなあと思います。
この記事を書いた人
綾希子

2児の母です。実家のそばで第一子出産後、夫婦の危機に。今度はパパとトラブルにならないようにと、実家に頼らず助産院で第二子出産後、頑張りすぎてマタニティーブルーに。その経験から、助産院の子育て…